人生100年時代の今、鍼灸師はどこで、どう働く?
健康寿命が延び、40代、50代、いや60代からも人生の本番を迎えることができる。60歳を超えた今でもプロサーファーとして、鍼灸師として活躍する南秀史郎氏。その著書『「挑戦的スローライフ」の作り方 カリフォルニア郊外でプロサーファー鍼灸師』から、ライフワークを見直すために役立つヒントを探ります。
海外で働くために乗り越えたい言葉の壁
海外で活躍したいと考える治療家は年々増えているように思われる。鍼灸マッサージに関する海外情報を特集した月刊『医道の日本』2013年7月号(※完売)と2016年3月号は共に好評の企画だ。
南氏はアメリカ・カリフォルニアで鍼灸院を約30年営む。29歳で鍼灸と西洋医学を統合した診療所を開業。診療所には医師が常駐し、患者の症状にあわせて鍼灸や漢方、運動療法を提供。日本人の鍼灸師のほかにアメリカ人、中国人、韓国人、フィリピン人が働く。まさにグローバルな統合医療型の診療所である。
日本人が海外で働くために、乗り越えなくてはならない課題は多い。特に語学については、日常会話程度の語学力はどこの国で働くにも必須になるだろう。しかし、南氏は治療に関していえば、実は言葉はあまり重要ではないと話す。治療効果をしっかりと出せば患者さんには分かってもらえるからだ。どこまで話せればよいのかは、判断が難しいところだが、患者とのコミュニケーションや臨床よりも、その他の業務や交渉、日常生活において、現地の言葉が必要になるようだ。
では英語がほとんどできない状態で渡米した南氏は、どのように英語を習得したのだろうか。よく日本人が海外に留学すると、日本人同士で集まり、結局英語も習得できずに帰国してしまうという話を耳にする。南氏は「渡米して大学に入るまでの1年間は、ほぼ日本人と接することはなかった」と語る。まずはその国の文化や国民性を理解するために、思い切ってその懐に飛び込むことが大切だ。
もう一つ、南氏が英語を習得するのに役立ったと語るのが、スポーツだ。「サーフィンもそうだが、共通のスポーツで切磋琢磨しながら、現地の人と分かち合えるものがあったから、日本人と交流しなくても寂しくなかった」。これはスポーツに限った話ではない。音楽や映画、芸術でもよい。好きなものを追求していると、趣味や思考が似ている人が近くに集まる。すると語学力もおのずと上がってくるのだ。
南氏は世界の五大ビッグウェーブのひとつ、マーベリックスに挑戦し続ける唯一の日本人だ。初めてサーフィンをしたのは17歳。以来、サーフィンの虜となり、日本で鍼灸師の資格を取得後、渡米した。
今はカリフォルニア州のサンフランシスコ郊外に自宅と治療院を構えている。温暖な気候に恵まれ、少し車を走らせれば、木々が生い茂る国立公園を望むことができる。そして何よりもマーベリックスに近い。波の状況はその日の天候などにより、刻々と変わっていく。山登りに地図が欠かせないように、サーファーには天候や風の状況から”波を読む”ことが必須だ。週に5~6日は海に行く南氏にとっては、現在の住まい、そして治療院はライフワークから導き出された最適な場所といえる。「働き方改革」が求められている昨今、住む場所、仕事をする場所を決める際に、自らのライフワークを1つの軸にしたいところだ。
「人生100年時代」の働き方
医療レベルの向上や環境の改善によって、人の寿命は延び続け、100年よりも長生きすることが想定される。寿命が延びれば、それに伴って当然、人生設計も見直さなければならない。
南氏は60歳を超えた今も、92歳までサーフィンを続けることを目標にしている。
波の状態がよい早朝から昼にかけて海で過ごし、午後から治療院で患者さんの治療をする。またマーベリックスのシーズン中は、サーフィンに専念することもある。そのため、治療をスタッフに任せる機会が多い。そのため南氏は教育に特に力を入れている。スタッフの技術向上はもちろん、南氏の診ている患者さんの情報を詳細に共有して、スタッフひとり一人の責任感と協調性を長い時間をかけて育てていく。「フレックスタイム」や「ジョブシェアリング」を具現化した働き方ともいえる。これもすべて、サーフィンを、そして鍼灸治療を長く続けるために、南氏が考え、実践してきた仕事との向き合い方の一面だ。
※本記事は医道の日本社Webサイト「CIANA」に2017年10月30日に掲載されたものを再構成したものです。
関連書籍
『「挑戦的スローライフ」の作り方 カリフォルニア郊外でプロサーファー鍼灸師』